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沖波(おきなみ)は、日本海軍の駆逐艦〔#秋月型(潮2015)226頁『沖波(おきなみ)』〕〔#達昭和18年5月(3)pp.4-6『達第百二十一號 昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦二隻、驅潜艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年五月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 沖波(オキナミ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 岸波(キシナミ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝霜(アサシモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ検図 伊號第四十六潜水艦|三菱重工會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號代四十五潜水艦 呂號第四十七潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 平戸(ヒラト)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 御藏(ミクラ)|日立造船所株式會社因島造船所ニ於テ建造 第四十六號驅潜艇|川南工業株式會社香焼島造船所ニ於テ建造 第四十七號驅潜艇|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 特務艦 波勝(ハカチ)』〕。一等駆逐艦夕雲型の14番艦である。 == 艦歴 == === 完成まで === 1942年度(マル急計画)仮称第342号艦として舞鶴海軍工廠で建造されることになり、1942年(昭和17年)8月5日起工〔#S1708舞鎮日誌p.5『(1)新造艦船工事 前月ニ引續キ巻波、初月、島風ノ艤装工事、第三四〇號、第三四一號艦ノ建造工事及本月五日起工セル第三四二號艦建造工事ハ何レモ順當ニ進捗シ巻波ハ十八日完成引渡シヲ了セリ』〕〔#S1708舞鎮日誌p.59『五(天候略)〇八三〇 第三四二號艦起工式/薄雲諸工事完了現地ニ向ケ一〇〇〇出港』〕。 舞鶴工廠では、秋月型駆逐艦4番艦初月《12月29日竣工》〔#S1712舞鎮日誌(2)p.24『二九日(天候略)初月竣工引渡/大波竣工呉鎮部隊ニ編入/大潮修理工事完成「ラバウル」ニ向ケ發』〕、島風型駆逐艦島風、夕雲型駆逐艦5番艦巻波(8月18日完成)等の建造をおこなっていた〔。また入渠艦艇の整備や、修理艦艇(軽巡那珂《翌年3月31日修理完成》〔#S1803舞鎮日誌(1)pp.6-7『(a)損傷復舊工事 霞不知火初春何レモ豫定通工事進捗中/那珂ハ三十一日工事完成セリ (b)修理工事 龍田 操舵装置修理豫想外ニ困難ニシテ一日試運轉ノ結果徹底的修理ヲ要スルコトトナリ陸揚修理二十七日試運轉成績良好二十八日出動セリ/太刀風八日、日進十三日、利根十六日}整備完成何レモ出動/刈萱 整備工事中/眞鶴(十六日)、長波(十七日)、木曾(二十日)、室戸(二十三日)何レモ附記ノ通入港極力整備工事中』〕、薄雲《8月5日修理完成、出撃》〔、霞《8月13日到着。翌年6月30日修理完成》〔#1806舞鎮日誌p.5『(a)損傷復舊工事 霞 損傷復舊工事ニ併セ重油タンク加熱装置施行三十日完成/不知火初春 船渠内ニ於テ損失部結合工事中/巻波太刀風 概ネ豫定通工事進捗中/名取 六月一日入港工事中ナルモ資材入手ノ關係上明年五月末完成ノ見込』〕、不知火《9月3日到着》〔#S1709舞鎮日誌p.5『(a)損傷復舊工事 大潮、那珂及霞ノ特定修理、損傷復舊工事ハ前月ニ引續キ豫定通順調ニ進捗シツツアリ/不知火九月三日入港損傷調査竝修理實施準備ヲ爲シツツアリ』〕、大潮《12月27日修理完成》〔#S1712舞鎮日誌(1)p.6『(a)損傷復舊工事 大潮 豫定通二十七日完成/那珂、霞及不知火 概ネ豫定通進捗中/初春 極力工事促進中|(b)修理艦船 木曾 十二日入港修理工事ヲ促進三十日完了/長良 二十七日入港徹夜修理作業ヲ續行中』〕、初春《11月6日到着》〔#S1711舞鎮日誌p.5『(a)損傷復舊工事 大潮、那珂、霞及不知火ハ概ネ豫定通進捗中/初春六日入港工事ニ着手シ中央要求ニ即應極力工事促進中』〕)等の修理にも追われていた〔#S1708舞鎮日誌p.5『(a)損傷復舊工事 大潮、那珂工事=豫定通進捗中/霞工事=損傷復舊工事ノ爲本月十三日入港目下損傷部調査中 (b)利根筑摩ノ整備工事ハ六日完成シ作戰地ニ向ケ進出セリ 夕風(二十一日)、室戸(二十四日)ハ附記ノ通入稿以來極力進捗中』〕。 1943年(昭和18年)初頭になると、舞鶴海軍工廠は夕雲型駆逐艦複数隻(浜波、早波、第342号艦《沖波》、第345号艦《早霜》)〔#S1801舞鎮日誌pp.5-6『(二)造修(1)新造艦船工事 初月 十二月二十九日竣工引渡ヲ了セルモ追加工事アリ特急工事トシテ施行七日完成即日出港ス/島風、早波 艤装ハ予定通進捗中/濱波、第三四二號艦 建造工事ハ豫定通進捗中/第三四五號艦 二十日起工』〕〔#舞廠造機部265-266頁『3ヶ月に1隻の新造駆逐艦』〕や「島風」の艤装工事をおこなっていた。 4月24日、ガダルカナル島撤退作戦で損傷した夕雲型5番艦「巻波」が舞鶴に到着、修理に従事する〔#1804舞鎮日誌p.6『(a)損傷復舊工事 霞不知火初春 何レモ豫定通工事進捗中/巻波 二十四日入港復舊工事ニ着手』〕。 5月8日、舞鶴工廠では第342号艦(沖波)の建造と並行して、秋月型8番艦冬月(第361号艦)の建造が始まった〔#S1806舞鎮日誌p.5『(二)造修(1)新造艦船工事 早波、濱波 艤装工事豫定通進捗中/沖波 船臺ニ在リテ罐及主機械積込中/第三四五號艦 船臺ニ在リテ建造工事豫定通進捗中/第三六一號艦 五月八日起工目下船臺ニ在リテ船殻工事中』〕〔#1805舞鎮日誌(1)p.5『(a)損傷復舊工事 霞不知火初春巻波 何レモ豫定通工事進捗中/太刀風 十五日入港損傷復舊工事ニ着手』〕。 5月10日、「島風」が竣工〔#S1805舞鎮日誌(1)p.5『(1)新造艦船工事 島風 工事竝ニ諸公試終了十日完成引渡』〕〔#S1805舞鎮日誌(2)p.15『一〇(天候略)島風舞廠ニ於テ竣功引渡』〕。 5月25日、本艦は姉妹艦(岸波、朝霜)や海防艦2隻(御蔵、平戸)、標的艦「波勝」等と共に命名された〔。3隻(沖波、岸波、朝霜)は同日附で一等駆逐艦夕雲型に登録〔#内令昭和18年5月(7)pp.4-5『内令第千二十七號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十八年五月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|駆逐艦、一等夕雲型ノ項中「濱波」ノ下ニ「、沖波、岸波、朝霜」ヲ加フ(以下略)』〕。 7月18日、「沖波」は進水した〔#S1807舞鎮日誌(1)p.7『(1)新造艦船工事 早波 艤装工事竝ニ諸公試終了三十日引渡ヲ了ス/濱波 艤装工事豫定通進捗中/沖波 十八日進水艤装工事進捗中/第三四五號艦・第三六一號艦 船臺ニ在リテ建造工事豫定通進捗中/第四六號驅潜特務艇 佐賀造船所ニ於テ新造工事完了五日回航十三日整備完了引渡ヲ了ス』〕〔#S1807舞鎮日誌(2)p.14『十八(天候略)工廠工事 沖波進水』〕。 「早波」は7月31日に竣工〔、「浜波」も10月15日に竣工した〔〔#S1810舞鎮日誌p.10『(2)重要ナル艦船兵器ノ造修(a)新造艦船 濱波豫定通十五日艤装完成引渡ス/沖波艤装工事ノ促進/早霜豫定通二十日進水艤装工事ノ促進/第三六一號及第五四八一號艦ノ工事促進(以下略)』〕。「早霜」も同月20日に進水した〔〔#S1810舞鎮日誌p.77『二〇(天候略)工廠工事 一一〇六驅逐艦早霜進水』〕。 11月6日、日本海軍は鴻型水雷艇鵲水雷艇長や初春型駆逐艦1番艦初春艦長〔牧野は、1942年(昭和17年)10月17日、アメリカ軍機の空襲により吹雪型駆逐艦朧沈没・初春大破時の艦長。〕〔等を歴任した牧野坦中佐を艤装員長に任命した。 11月10日、舞鶴海軍工廠に艤装員事務所を設置する〔『○事務開始 沖波艤装員事務所ハ十一月十日舞鶴海軍工廠ニ於テ事務ヲ開始セリ|呂號第四十五潜水艦艤装員事務所ハ十一月十日三菱神戸造船所内ニ於テ事務ヲ開始セリ』〕。 11月15日、「沖波」に先駆けて不知火型「不知火」の修理が完了、舞鶴を去った〔#S1811舞鎮日誌(2)p.10『十五(天候略)不知火一六〇〇修理完成出動』〕。 本艦は12月10日に竣工〔〔#S1812舞鎮日誌(1)p.9『沖波 豫定通十二月十日竣工引渡ヲ了ス』〕〔#S1812舞鎮日誌(2)p.6『十(天候略)沖波竣工引渡』〕、沖波艤装員事務所は撤去された〔『○事務所撤去 沖波艤装員事務所ハ十二月十日之ヲ撤去セリ』〕。牧野艤装員長も、正式に沖波駆逐艦長(初代)となった。舞鶴鎮守府籍となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖波 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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